俳優・シンガーソングライター京本政樹ファンサイト

第19回カシオペア映画祭

このエントリーをはてなブックマークに追加

明治時代からある懐かしい映画館、岩手県二戸郡一戸町の萬代館で毎年行われている「カシオペア映画祭」に京本政樹さんがゲスト出演されました。

ゲストの出演作品を3本フィルム上映するという素晴らしい企画に、私も初めての岩手県へ行きましたよ♪

盛岡駅から、いわて銀河鉄道で1時間ちょっとのところにある一戸駅から歩いて10分弱の場所に萬代館はあります。一戸駅を出てから左斜め前、信号がある緩やかな坂道をひたすらずーっとまっすぐ降りていったところに萬代館が見えました。

入り口の前にはカシオペア映画祭のポスター!

 

個人的にはどれも映画館で観られなかった作品たちなので、今こうしてポスターを見て、今から映画館で観ることができることに奇跡を感じました。

映画館の中では、手作りのお弁当や牛すじ煮込みやたこ焼きなどなど売っています♪

そして、今日上映される映画以外にもたくさんのポスターが!

 


雪華葬刺しやオイディプスの刃、里見八犬伝などなど、京本政樹資料館です!!
こんな光景を見られただけでも来た甲斐がありました。。。(;;)

小さくレトロな雰囲気の映画館の右の壁に手作りの歓迎幕が張られていて、温かい気持ちになりました。

 

↓こちらは萬代感名物「活弁」。とっても美味しかったです♪

 

 

 

 

 

 

 

13:00から映画祭がスタートし、「必殺!2 ブラウン館の怪物たち」「劇場版・家なき子」「修羅之介斬魔剣~妖魔伝説~」が上映されました。こんなにたくさんの映画を一日で観る経験は個人的には初めてですし、ビデオやDVDで観るのとは比べ物にならない迫力や、感動、大スクリーンでなければ気付かなかった部分などなど、色々な発見がありましたね。それに、3つのまったく違うキャラクターを演じる役者京本政樹を立て続けに観て、改めて、京本さんの魅力に惚れ直しました。

 

3本の映画が終わり、19:00から闘う仕事人が流れて京本政樹さんが登場!!

黒ジャケットにジーンズ、紫のハット、ゴールドのクロスペンダント、黒のブーツの裏側かかとが赤!相変わらず、本当に外を歩いてきたのかと思う綺麗な靴底です。映画の役に負けないご本人のかっこよさ。。。

京本さんの公式サイト羅刹那のほうに当日の写真がアップされていますのでぜひ御覧ください。

 

そんな京本さんと、女性の司会者さんとのトークがスタートしました。

以降、話の繋がりや言葉遣い等々の記憶違いが多々ありますことをお許し下さい。

 

「映画館で修羅之介を見たいと仰ったので、後ろでご覧になってたんですよね」

とお姉さんが。うおお!でもそれは観たいよねきっと!

京「眠狂四郎をやられてた市川雷蔵さんは37歳で亡くなられたんだけど、ボクは修羅之介をやったのが37歳の時だったので、その時のことを思い出しました。萬代館からお手紙をいただいたんですよ。ファンレターを読んでたら、大体女性からのお手紙が多いんですけどね。男性からのお手紙は珍しくて。あ、何回かはありますけどね、付き人にしてほしいとか(笑)その手紙を読んだら、カシオペア映画祭っていう、最近は震災も経て、映画祭を毎年やってるんだと。しかもここではフィルムでの作品をもってる方がゲストに呼ばれてるということで、これまでにも水谷豊さんとか宝田明さんとかもいらっしゃったんだと、すごく長い文章でお手紙をいただいて。マネージャーに見せて、ここまで熱意持ってくださってるんだし、って話して。そこから、映画祭で何を上映するかという話になって、デビュー作の雪華葬刺しとかオイディプスの刃とかいろいろ考えてたんですが、やっぱりボクが世の中に一番認知してもらった必殺か、、、厳密には世に出たのは里見八犬伝のほうなので、どっちを上映するか悩みましたね」

 

ああ!今日のもいいけど、雪華とかオイディプスの刃とか里見八犬伝とか大スクリーンで観たらすごかっただろうな!!

 

京「今日上映した、ブラウン館の怪物たち、これブラウン管とかけてるんですよね。当時山内久司プロデューサーが言ってたのを思い出したり。家なき子は、最後までオイディプスの刃とどっちにしようか悩みました。ボクはどっちでもよかったんですけど、家なき子のほうが、今の自分に一番近いと思って(笑)この間、堂本光一くんとたまたまお会いして最近LINE友達なんですけど、家なき子のポスターの写真を撮って送ってあげたら『恥ずかしいー!!』って返事がきましたね(笑)現代劇の京本政樹としては、高校教師や家なき子がやっぱり、未だに言われてるから。。。ただ安心して観られるのは家なき子かなと。雪華とかオイディプスはちょっとハードなので、、、それはどっかで観てください(笑)」

出た、どっかで~~してください(笑)でも修羅之介も大概ですけどね(爆)

 

京「昔は映画スターって言い方しましたね。東映とか松竹とか映画会社が俳優を育てるという。ボクらが役者になった時はもうテレビ時代でしたから。30代になった時、自分で眠狂四郎のような。眠狂四郎をやろうというより、自分にとっての眠狂四郎のような作品がほしいと思ったんですよ。それで原作を探してきて、原作者から権利をいただいて。大江戸捜査網くらいの時から何度か映画化の話はあったんですけど、やっぱり時代劇はお金がかかるからということで、最初は修羅之介の代替案ということでスカルソルジャーを監督して作ったんです。ただ、修羅之介は絶対映画でやろうとずっと思ってたんですよね」

「さっきからお話聞いていると、京本さんは役者さんではなくプロデューサーとか制作の考え方をされてるんですね」

京「や、北大路欣也さんとか松方弘樹さんとか、みなさんプロデューサーですよ。自分で何をやろうかとか常に考えてる。ボクが修羅之介を考えてた時は、35歳くらいで高校教師とか家なき子とか、いわゆる当たり役がいっぱいあった時なので、ちょっとは自分のいうことを聞いてもらえるときに入ってたんですよね。それで、こっちは修羅之介をやろうという案を出した時に、逆に持ってこられたのは「るろうに剣心」(笑)漫画渡されて、え、これやるの??って思ったけど、向こうは合うんじゃないかって。でも結果は良かったんじゃないですかね。後々佐藤健くんがやってますけど、当時はまだCGとかアクションがそれほど派手にできない時で。修羅之介もそうですけど、CGワンカットに何百万っていう制限があって、3カットまでしかCGを使えないって最初に言われて。原作だと、江戸に白虎が現れて、ボクが、、、っていうか修羅之助が(笑)真っ二つにするっていう場面なんだけど、結局そこからできないってなって、、、あの方プロレスラーですか?あの、大男を真っ二つに割るっていうことになって。そこでもうボクはがっかりしたんですよ。や、その方に他意があるわけじゃないんですよ?」

 

たしかにいきなり紙みたいに真っ二つになるヤーブローは当時見ても、これいいの??ってなりましたよね(笑)しかしこういう裏話がすごい面白いなあ。

 

京「あと、修羅之介を当時スマスマで宣伝してくれたんですよ。あの番組で、修羅之介の格好で出てきて、剣道大会をやるっていう。剣道負けましたけど(笑)これ話逸れますけどね、剣道って自分の防具じゃないとダメなんですね。SMAPのみんなは自分の防具を持ってるんですが、ボクのは用意してもらったパリパリの新品なんで筋肉痛になりました。言い訳になっちゃってますけど(笑)」

「それってもしかして負けさせるという。。。?」

京「いやいや!それは新品の綺麗なものを用意してくれたっていうことなんですけどね!ボクも自分のを持ってくればよかったなって(笑)それで、スマスマで修羅之介の宣伝をしてもらったときに、予告映像を見ながら木村拓哉くんとか草彅剛くんが、おおお!ってびっくりしてくれたのを覚えてるんですよ。その後に、映画の陰陽師が大ヒットするんですよね。その陰陽師のプロデューサーの林さんという方が修羅之介の時のプロデューサーで、ボクのああでもないこうでもないって話を聞いてた人なんですが。修羅之介の数年後にその人とすれ違うと、林さんが『京本さんのお陰ですよ!』って言うんですね。で、え、何が??っていうと、『時代劇にCGっていうのもいいのかなーっていうのがヒントになって、そこから陰陽師を作ったんです』って言われて。じゃ、なんでボク呼んでくれないの?って言ったら、『京本さん出たら目立ってしょうがないから!』って(笑)」

「えー!お公家さんの格好とか似合いそうですけど!」

京「パート2もあったんですけどそれも呼ばれなかったっていう(笑)」

「あらら??^^;」

 

何度聞いても悔しい話だな。。。

と、ここで司会の方が、皆さんの熱意を聞いてみましょうって、『1時からみてる方ー』ときいたらたくさんの人が手を挙げたのを見て京本さんが、

「え!皆さん1時からいるんですか!?」

ってめっちゃびっくりしてましたが、や、、、そういうイベントなんですって(爆)

 

京「でも、ボクが入る時間を最初に萬代館が考えてくれたのは、『修羅之介の終わりに入ってください』って、結構遅めだったんですけど、自分でもスクリーンで観る機会はもうないだろうから修羅之介くらいは観たいなあと思って予定より早く入ろうと思ったら、新幹線の隣にすごく偉い官僚の方が座ってて、ずっとここ来るまで固まった状態で来ました(笑)」

「でも京本さん、岩手に初めていらっしゃると聞いてたんですが、2回目だったんですね!」

京「ボクもファンの方の書き込みで思い出したんですけど(笑)飛ばすでは岩手県まだ来てないから、またここ来ますよ!47都道府県、まだ12県くらいしか行ってないらしいんですけど、あと30県?ボクが生きてるかわからないんですけど(笑)」

 

いやいやいや!でも今後岩手県に飛ばすで行かれた際には、カシオペア映画祭を思い出してほしいですよね!

 

京「ファンの人に言われて思い出しましたけど義経の格好でね。平泉のことも全然忘れてましたけど、後に自分が藤原秀衡とかやったけど全然覚えてなくて。。。^^;ボクね、自分が行ったところ全然覚えてなくて、徳島とか行った時に、『初めて来られたんですよね?』って言われて、はい初めてですとか言っちゃうんだけど、ファンの人に『前来たじゃないですか!』って言われたりして(笑)」

 

ここからお客さんからの質問コーナーになって、最初に当たった方が緊張されてるのを見て京本さんが、

「そんな緊張しないで、食卓にいる感じでね」

って仰ってましたが、それ余計に緊張するわ(笑)

 

その方が、『京本さんは紫色とか黒の洋服を着られていることが多いですが、何色が好きですか?』と質問されていて、

「水色が好きってことが最近わかったんですよ。時代劇は紫とか高尚な色なので、紫とか黒とか赤とかを着せられることが多いんですが、最近ふと、鞄とか水色のものを持ってることが多いなあと」

 

昔は黄色って言ってる時もありましたよね。でも何にしても明るい色が好きなんだなあ。性格が明るいからだろうなあ。

 

京「そういえばブラウン館観てたら、さんまさんとか、今をときめく人たちが出てましたね!あと、家なき子にコロッケさんが出てたってすっかり忘れちゃってた!」

「え、あんなに記憶力いいのに??」

京「細かいところは覚えてるんですけど、現在進行形で起きてることとか、共演者の方とかはどんどん忘れちゃうんですよ(笑)」

「先程もポスターを見ながら、どの役者さんがどうこうと随分細かく教えてくださってたので」

京「何言いましたっけ?(笑)」

 

忘れてる(爆)

 

「ここでちょっとした自慢なんですが、萬代館のスタッフの中に、すごくポスターを持ってる人がいて、毎年ゲストのポスターを必ず出してくる人がいるんですよ」

京「それ選ぶのも大変ですよね??そういえばあった!っていう記憶があるんですか?すごいですねえ!なんでも鑑定団出ました?(笑)」

 

って聞いたら、本当に出たみたいで、でもなんでも鑑定団ではポスターじゃないものを出したみたいでした。

次の質問では、『修羅之介のロケ地とかで印象に残ってるところは?』

「主題歌を歌うっていうのは最初決まってなくてー」

っと???ロケ地、、、の話じゃないのか?

「修羅之介の時は純粋に時代劇俳優として立ち回りにも一番自身がついてるときだったので、音楽のほうはやりたくないと思ったんだけど、ロケやってる最中にまるで悲しみが~のフレーズが浮かんじゃって、相棒のノアに連絡して作り始めたんです。その時、キングレコードが出資してくれて、、、といってもキングレコードから出してないんですけどー(爆笑)そこから曲を作ってくれって話になっちゃったんで、修羅之介を撮ってる最中に主題歌も作ってたんですよ。最後の歌、ボクが歌ってるんですけど、冴木涼介って名前で当時プロモを作ってCDTVでも流れたんで、京本政樹に似た人が出てきたって当時言われたんですよね(笑)それで、時代劇の低い声を作ってると声帯が変わっちゃって、歌を歌おうとすると自分の歌も声が出ない。映画の封切り前にレコーディングしないと間に合わないのに声が出なくなっちゃって。。。以前、中山秀征くんが司会やってる時に声を出すために喉に注射を打って声を出してるって言ってたのを思い出して、すぐ電話して教えてもらったんです。・・・これ初めて話すんじゃない?」

 

いや、結構最近ラジとばで言ってましたけど。ざわざわするファンたち(爆)

 

京「ラジオかなんか??そんなこと忘れてますよ(笑)とにかくこの歌を聞くたびに苦しかったのを思い出しますね」

「えっとロケ地の話は(笑)」

京「あ、ロケ地?必殺仕事人を終えた後、10年くらい松竹映画に行ってなくて、ずっと東映撮影所で時代劇を撮ってたので、修羅之介で主役として帰ってきたのでみんなによく帰ってきたねーって感激されて、松竹の撮影所を久しぶりに歩きながら、ここから落ちたなとか思い出したり。その時のスタッフは必殺の頃のスタッフだったのも感動したし」

 

そうそう、だから、ブラウン館と修羅之介同じロケ地がいっぱい出てくるんですよね!

 

「その10年の間に松竹すっかり変わっちゃったんですよ。入り口だったところが入り口じゃなくなってたりとか他にもいろいろと。うん、だから印象に残ってるのは撮影所ですね。ボクが必殺をやめた時のこと、いろんな説を言われてますけど、まあボクが事務所をやめて独立したっていうのもそうなんですが、本当は紐ばっかり投げたくなかった(爆)ずっと紐を投げてるとね、使い回しでいいんじゃないかって思って(笑)飽きちゃったって言い方は失礼だけど、紐も今見ればかっこいいですけど、その前に里見八犬伝で立ち回りをたくさん鍛えられたから、やっぱり立ち回りをやりたくてね。その時もう時代劇をやっていこうと思ってきていたから、やっぱりチャンバラをやりたいと思って」

 

組紐屋の竜も当たり役ですけど、確かに立ち回りをやりたいと思ってくださったから、未でもあの華麗な殺陣を見られるんだと考えると本当にありがとうございます!っていう気持ちになりますね。

 

京「修羅之介は今の時代だったらCGで白虎とかもできるけど。ボクがスピルバーグだったらやり直しますけどね(笑)スピルバーグさんがスターウォーズを作り直したのは本当に羨ましいですよねー。資金面とかでもやっぱりアメリカだからすごい。ボク個人的には、映画は監督のものだからあんまり撮影所でこれをこうしたらとかあんまり言わないんですけど、修羅之介は、当時これはないよなあ、、、と思いながら見てたりしたんですよね。最後、戸川京子ちゃんがダイナマイトと刀持ってきてなんとかー!って言ったら、ぐさー!って刺されたところで、この演出はないなあ!って(爆)37歳の頃のボクも色々思ってたけど、今の自分ならもっと細かいところ思うところありますよね。最近は吹き替えをいかにも使ってる時代劇が多くて、本人の顔が見えてないところはアクション吹き替えですけど、高橋英樹さんにしても、松方弘樹さんにしても、里見浩太朗さんにしても、いかにもご本人が立ち回りをやってるということを前提としてやられてるじゃないですか。ボクもそれを目指してやってきましたけど、そこに自信を持ってできるようになるまで15年くらいはかかったんですよ。だから今の若い人たちに時代劇をやってもらうとしても、10年~15年は時代劇を勉強する時間があるわけでしょ。そうじゃないと往年の時代劇みたいなものは絶対できないと思うんですよね。歩いたりするだけでも所作事っていうのがあるし、目で語るお芝居とか、主役になればなるほど無口な役が多いから、そういうところよく怒られましたね。そういうのがないと、これからの時代劇はすごく希望がないというか。。。照明さんとかスタッフにしても、長年の知識があってこその時代劇ができるから、そこまでやってる方が今どれだけいるのかなと。最近はアニメの実写版が多いですけど、CGで空想的なシーンができますよね。修羅之介の時、そういうのをボクが夢見ながらもお金がなくてできなかったけど、逆に手作り感という意味では時代劇を知ってるスタッフがたくさん残っていた時代だから」

 

今考えたらフィルムでVFX使って撮ってたんだから、本当にすごいことやってたんだなあというのを感じますよね。。。あと、ホント必殺の当時のスタッフさんたちが残っていたというのがよかったんだなあと。修羅之介の美しさ、かっこよさはちゃんと作品に残されてますもん!!

 

京「時代劇俳優になろうと決めたきっかけはやっぱり先輩ですね。大川橋蔵さんと出会わなかったら、必殺とか修羅之介の京本政樹はなかったでしょう。当時、橋蔵さんがメイクとか所作事とか色々教えてくださってたので、橋蔵先生には誰も何も言えないんだけど、橋蔵先生がいないところでは、色んな人から、『そういうの流行らないんだよねえ。。。』って言われたりしてましたね。納刀を練習してると、『そんな役もらえるわけないやーん』って言われたりして。うーん、でもオレは教えられたから練習してるんだけどなあって思いながら練習してました」

「この美貌であれば現代劇でもやる道があったはずじゃないですか?」

京「確かに、最初はなんで時代劇やらされてるんだろう??と思いましたね。横を見ると、金田賢一さんとか国広富之さんとか同年代の方たちが青春スターで出てる時だったから羨ましかった。自分だけ置いてけぼりくってる気がして。でもその後、里見八犬伝で深作欣二さんに出会った時に変わったんですよ。橋蔵さんが銭形平次の撮影の合間に衣装やかつらを全部やってくれて、銭形平次は卒業しなさいと。銭形平次の時、橋蔵さんに『中村錦之助タイプと大川橋蔵タイプなら、京ちゃんが今やってるのは一心太助みたいな錦ちゃんタイプなんだ。でもあなたはどっちかというと橋蔵タイプをやるんだ』と言われて、もうちょっと早く言ってほしかったと(笑)でも修行だったんでしょうね。里見八犬伝で、橋蔵さんがコーディネートしてくださった衣装を着た姿を見たスタッフたちが『すごい似合うね!』ってその場の空気が変わるんです。でもいざ撮影が始まってみると、深作さんが要求する演技が全然できないんですよ。そのうち、さっきちょっと褒めてくれた人たちの空気が、サーッとまた変わるという(笑)あと、アフレコで、はまじ!があまじー!に聞こえるシーンがあるんだけど、はまじー!って言ってると全然オッケーが出なかったのに、何故か、自分で、今のあまじー!って聞こえるなって思ったところで、深作さんがオッケー!って。何故かオッケーになっちゃったんですよ。でもその里見八犬伝がヒットして、それを観たプロデューサーの方が必殺のプロデューサーで、そこから必殺に入るんです。必殺の映画の時は、それこそ岩手県出身の村上弘明さんと、衣装着たままうたた寝して、朝から夜まで交代で映画の撮影して、すぐにテレビ版の撮影って。途中、足折ってるんで、鮎川いずみさんとワイヤーでびゅーって行くところは車椅子で撮ってるんですよ。まあ、足折ったおかげで割りとアップが多かったんですけど(笑)」

「なんか何を話されてもポジティブにお話されるんで、もっと聞いていたいんですが、そろそろお時間が来てしまいました」

 

うん、確かに何があってもポジティブな人だなあと改めて思いましたね。。。だからこういう京本政樹が出来上がったんだな。こういう前向きなところ、本当に尊敬します。。。

今後の予定を聞かれると、

「飛ばすとか、、、あと、ちょっとまだ言えないのもあるんですよねえ。。。そんなに大げさなことじゃないんですけど、発表になったら喜んでいただけると思いますね。それ聞きたかったんでしょ?言えないんですよ(笑)」

とのこと。発表が待ち遠しいです!

「幼い時に道路挟んだ向こう側が映画館で、眠狂四郎がやってたりして、幼少時代を思い出しました。呼んでいただけてよかったなあって。映写機でかけるフィルムの映画、つくづくいいなって思いません?今は、4Kとかビデオで撮ったものをフィルムに起こすんですけど、今日映画を観て、陰影とか時代劇の所作とか大切にしたいなと改めて思いましたね。それをどう伝えていくか。自分一人ではできないので。この愛だも堂本光一くんの陰陽師がやってましたけどね。陰陽師オンエアしてる最中に二人でLINEしてるっていう変な感じで(笑)ボクはもう大川橋蔵先生の年代に自分がなっちゃったので、若い人を支えられる存在になれればなと。いつまでも必殺とかやれるわけではないので、そろそろ自分の役者としての転換期をすごく考えてますね。修羅之介に中村敦夫さんが出てらっしゃって、当時も、木枯し紋次郎やってた方が出てくれてる、って感動したんですけど、ふとボクが今中村敦夫さん以上の年齢になってるんだけど、ボクが敦夫さんの役をやってファンの方が喜んでくださるかというのはよくわからないので、そういうのも色々考えていかないといけないなって。でも本当に、ボクらの時代は、ギリギリ映画たる映画を残してもらってる時代だからよかったなって思いました。せめて修羅之介だけでもと思ったら家なき子もちょっと観られたんですけど。あれは日活の人が日テレにヘッドハンティングされたんで、テレビドラマの家なき子を映画化しようっていう話になったんですけど、今はまさにそういう時代になったんですよね。そういうのを思い出しながら、これからの京本政樹を考える機会になったかな」

 

とシリアスなお話をされた後に、

 

「皆さんどこに泊まれれるのかそればっかり気になって(笑)」

 

って、、優しいなあ(笑)

最後に萬代館のスタッフさんから、京本っていうラベルが貼ってあるお酒??が渡されてました。日本酒に見えるけどワインみたいです。京本ワイン、かっこいいな!思わず、おおお!って言いました。

たくさんの思い出を話されながら、とても楽しそうでしたね。早めに始まったトークショーが終わってみると1時間を超えていました。やーたっぷり色んな話が聴けて楽しかったです!

最後ははつ雪が流れて感動的な空気のうちにカシオペア映画祭が終了しました。

 

来年はカシオペア映画祭20周年だそうで、早いですがおめでとうございます!

京本さんも色んなことを考えさせられたと仰ってましたが、観せていただいた私もたくさんのことを思い出したし、改めてフィルム映画の素晴らしさ、時代劇俳優京本政樹の素晴らしさ、そしてトークショー全ての方々に感謝です。京本さん、そして萬代館さん、またカシオペア映画祭を毎年企画してらっしゃる委員会の皆様、素晴らしいイベントをありがとうございました!!

facebook Comment

1Comment

  • […] 熱京のほうには真面目バージョンのレポを載せましたが、こちらは一人奥州平泉こと京本政樹さんを追いかけて私の人生初の岩手旅、初めて大スクリーンで観る作品たちへの個人的感想 […]


  • Pagetop